①本日は、いやいや、本日も仕事探し。昨日は、仕事のことが気になり勉強に集中できなかった。数学は全く手を付けられない有様。その気になることを抽出すると。ⅰ)「派遣か正職員か」ⅱ)「通勤の便」ⅲ)「勉強時間の確保」の三点である。

 

②1⃣自分の能力の限界はどこなのかを考えている。その前に、より努力をしないと話にならない。限界を知る年齢ではあるのだが(エリクソンの理論では)挑戦してみると、思った以上に、知力や仕事に対しては、限界は先にあるのではないかと思ってしまう。

2⃣しかし、体力の面では、もう限界である。そこらへんの若人には負けない自信があるが、そこらへんであり、鍛え上げた若者には負けてしまう。では私が一念発起で鍛え上げようにも、その無理が利かないのが現実であろう。回復力が遅くなっているのはもちろんのこと、関節を痛めてしまっている。大事にしないと、今後の生活に影響を及ぼすだろう。そう、人生の正午なのだから。終わりを見据えないといけない。

 

知力や仕事のに対してとは言ったものの、ふと、2⃣体力面では人と比較しており、1⃣知力や仕事の面では、自分自身と比較しているではないか!

 

知力や仕事はの面では、まだ人と比較するところまでもいっていないということか?と意味不明の文面になってしまった。

 

では1⃣につけ加えると、知力や仕事に関しては

 

「知力においては、今回の受験を受けることにより、物理や数学においては大学基準の問題であるならば、理解することはできる。しかし、問題となるのは、時間である。生活をしながらであると時間的制約がある。さらには、仕事が入り込むことにより、疲労や仕事による雑念が沸き上がることによりパフォーマンスの低下があった

。この時間的制約と雑念を気にせず勉強に取り組めた2か月で感じたのは、大学入試程度の知力を蓄えることは難しくない。結果→知力の限界はまだまだ先にある。」

 

「仕事においては、医療や看護において様々な問題点に気づくことができ、かつアイデアも思い浮かぶ。例えば、病院での看護業務以外の雑務、仕事の複雑化、病状の管理の方法など。しかし、同僚に伝えても反応は薄い、そして変える気力もない。築き上げた閉鎖的なその病院の文化の壁は崩せなかった。しかし、その問題発見、アイデアは私の能力であり、よりコミュニケーションや発信力があれば変化は起せるハズ。結果→まだ仕事における能力は限界は先にある。」→そんなこと、誰でも考えているだろうが。

 

うん?結局自分比較ではないか。

 

これくらいにしておこう。