速読

 

本日も晴天である。風は南風である。暖かい。このような日も、勉強!となるのだがところであるが、たまには出かけるのもいいもんだと思い桜を見にいくことにした。

とある場所は桜の名所でる。風も少々あり、桜吹雪が美しかった。

 

さて、読書の仕方であるが、皆はどうしているのだろうか?というのも、昨日、いつもは図書館で本を借りることがほとんどである。なんせ、本を片っ端から購入すると部屋がとんでもないことになることが多かった。

 

なので、敬遠していたのだが、久々に本を購入することにした。

 

私の読み方として、文章の構造を理解するため、文章を囲む、線を引くなどを行い、マインドマップ状態になるのだが、今回は速読してみることにした。

 

読んだは「心の哲学」という本で、書いている内容はそこまで難しいことは書いていない。岩波のカントの純正理性批判に比べたら(笑)しかし、知らない言葉に対しては考える熟読する必要がある。今回は、速読、分からなくても飛ばす、とにかく進む。

 

半分くらい進んだ。

 

気が付いた。

 

面白くないのだ。意味が分からない。何度も、速読をしたらわかるのだろうが、感動が全くない。

 

分かったことは、速読も考えもんなのかな?

 

その前に、速読の訓練をやったことはなく、ネットで見よう見まねでやってみた。そこが問題かもしれない。

友人

本日は快晴。日中の温度は20℃を越え、過ごしやすなるだろう。こんな天気の日はもったいないので、桜を見に行こうと思う。もちろん、一人(笑)

 

この年齢になると、なかなか友人もできない。友人を維持するには、こまめな努力を必要とするのだが、面倒、時間がない、疲れる、食い違うなど、煩わしさが前面に出てしまい行動はしなくなってくる。

 

老後に豊かな人生を送るならば努力が必要なのだろう。

 

では、本当の友達、親友はいるのか?

 

古い友人を親友と思っていた。しかし、時間が経つにつれ疎遠となる。久しぶりに合うと気兼ねなく話せるのだが、人生で重ねた経験が壁となり、本心を話せなくなる。そして、知識量や思考の食い違いにより会話が成立しないことに愕然とする。

 

ソクラテスは言った。

 

「友人たちよ。私には友人がいないのだ」(だったはず)

 

ショーペンハウワーは言った。

 

「神がいるとしたならば、予に議論できる友達を与えよ」(だったはず)

 

このように、哲学者も悩んだようだ。私には友達はいない。いなくなった。しかし、落胆はしない。どこかにいるはずだ。

 

そもそも私が「高度な議論ができるほどの知識がない」ということが致命的なのだ!

 

このように、友人がいない⇒古い友人が親友というわけではない⇒高度な議論をできる人が欲しい

 

私の求める友人像は「高度な議論ができる人」のようだ。付け加えるなら、そう、魂が震えるくらいの感性をもった人だ。

 

その人はもういない。

 

友人を求めるのは旅に似ているのかもしれない。

 

 

 

 

 

本日も、だらだらとしている。一昨日の発熱より下痢が続いている。原因は不明である。仮説を副交感神経が優位なのか、自律神経が乱れているのかよくわからない。俺はこんなもんである。

 

今日は看護のことを書いてみようと思う。

 

臨床にでると必死に勉強はしたものの、日々の業務に追われ、このような知識も次第に曖昧になってくる。

 

「なんとなくでも動ける。わからなければ知っている人に聞けばよい」

 

という考えに陥る。私がいた病院は古い体質であり、年配者が多いところであり、議論することもなく、知識の更新もない。勉強にならないところであった。アウトプットしようにも話せる人がいない。これには辟易した。

 

面白くないのだ。新しいことに挑戦し、良いものを求める。そこに面白さがある問い思うのだが。

 

このような経験から、新人の方にはおすすめするのは

 

①業務に追われることなく、今行っている看護について考える余裕がある病院。

②議論する仲間、先輩、チームが存在する病院。

③無茶なシフトを組まない病院。

④古い体質に対し改善を続ける病院。

⑤できいれば公務員(一番恩恵にあやかれる。保険とか、融資とか(笑))

 

そのような病院は私は聞いたことがない!その前に、卒業した時点で私は壊れてしまって音信不通の状態になった。人と会いたくないし、以前のように明るく接することが苦痛になってしまったからだ。よって、私はほかの病院の情報は、ほとんど知らないが、私が理想とする病院を書いてみた次第である。

 

その後臨床を離れ、デイサービスで働くことになるが(看護師は嫌だったが金がいいので)、医療知識を持っているものは、看護師くらいであり、急変の時は私しかいない。

 

急変時での病院での流れでは(大抵、意識消失、痙攣)

 

①発見する。ナースコールで応援を求める。

②CABCED(意識状態、エアライン、呼吸、循環、四肢、腹部)の順に観察する。

③アセスメント。何が起こっているか?を予測する。(脳?循環?そのほか?)⇐私は大体そのようなもの。既往歴、現病歴なども。

④応援来たら血糖値の測定。バイタルサイン。

⑤誰かがドクターコール。

⑥ドクター到着したら、情報を伝えながら、ドクターの介助。

⑦落ち着いたらドクターの指示に従いケアを開始。

 

大体このような流れである。

 

ではデイサービスになると。

 

①急変の発見。

②バイタルサイン。血糖値はデキスタがない!既往歴(資料がみつからない!まじ?!)

③CABCEDで観察。

④とりあえず横になってもらおう。

⑤既往歴見つかる。内服薬は?これ古すぎる情報じゃないか!?

⑥家族に誰かが連絡。

⑦とりあえずだんだん元気になってきた。

⑧よかった。帰宅してもらおう。

 

である。このように、医療的な判断ができるのが看護師しかいない。必要な情報もまとまっていない。(勤めていたデイでは。)

 

よって、行ったことは、

①各自の疾患、既往歴、内服薬をすべてまとめた。⇐看護計画を立ち上げる。休みの日も来て12時間ぶっとおし。全行程24時間かかった。

②大抵多いのは、糖尿病罹患者が多く、低血糖が予測されるので、ファンタグレープを用意。(自腹。二本で150円くらいだったので)

③各自の体調を簡易的な記録用紙でチェック。(他の経時的な記録はデイ存在しなかったので。)

④大本となる記録をチェックし、内服薬の更新がない人には、現在の内服薬のチェックを行いたい旨をつたえ、お薬手帳の持参をしてもらう。内服による副作用を予測。

⑤健康面に対しシツコク指導する(笑)

高齢者は大方「大丈夫です」と答える。絶対に信じない。(笑)話がそれるので、何度も聞きたいことについて軌道を修正する。

⑦そのほか、介護スタッフに低血糖認知症について指導をする。

 

などを行った。そしてこの結果、そのデイは変わったか?おそらく元にもだっただろう。私が抜けたし。社長もサイコパス傾向の強い人だったので嫌気がさした。真向から対立していたしな。

 

一度だけ低血糖症状がみられた人がいたが、ファンタグレープで復活。その後、訪問看護にもかかりつけにもかからず、翌週受診し、案の定、高血糖だったと。(笑)今度は家族の問題とかも浮き彫りに。

 

そのほか、腹水貯留が顕著になってきているが、かかりつけ医の治療方針と本人の意思、家族の意思が全く見えず、違う方向を皆向いていたので介入。

 

まずは、地域包括に相談、だったらいいが、対立。お医者様扱いし、話の進まなさにいらだつ。進展が遅すぎる。

 

このように、地域で看護師の役割の重要性や地域包括ケアシステム、かかりつけ医への権威への服従。本当に滑稽である。地域包括ケアシステムとは言っているが、全然、連携が取れていないように感じた次第である。

 

以上のように、唐突なまとめであるが、私が感じたことは

 

①看護師は地域でも大きな力を発揮できる。健康を支える存在になり得る。

②アセスメント能力は常に磨くべし。

③基本的な知識を必ず身に着けろ。

④看護計画はデイでも有効。しかし、仕事として認めないのだろうなー。

⑤看護師の仕事を他スタッフは知らなすぎる。そして嘗めているんじゃないかと思ったことが多々あった。

⑥地域包括ケアシステムは名ばかりではないか?障害となるのはいったいなんなのか?権威なのか?利用者に親身になっているのか?円滑になぜいかない?スタッフの能力なのか?

 

このように、議論できる相手もいないので、独りよがりであるが、もしこれを見た人は信じないように。信じるかどうかはあなた次第。

 

さあ、数学の勉強をしよう。

 

結果、倦怠感も軽減はしたものの、一日をぼんやりと過ごす。春の風が吹き込む部屋で布団の上で横になり、ぼんやりとする。不思議と活力が湧いてくるのを感じる。

 

活力が湧いてきたところで、買い物へ行くが、重く、足取りもふわふわとしている。

 

前にも書いた通り、不惑ではなく、不域であると信じ、行動しよう。この世界(現世)で暴れるだけ暴れてみようではないか。と考える自分がいた。

 

勿論、体は衰えていく。

 

さびさせないよう、体の管理をしっかりとしていこう。

 

 本日は体調がよくない。倦怠感があり、やる気もない。昨日は、朝から手足がやたらと冷えてしまい、昼頃、風呂に入り温める。風呂から上がると急激にだるくなり布団へ入る。

 

そしてやっと気が付く。俺体調わるいんだ。

 

その後、関節痛、筋肉痛、少々の頭痛あり。最高体温38℃をマーク。久しぶりにこの値をみた。そんな大したことでないと思っているが、うなされる。

 

夜九時過ぎに1時間ほどひと眠りする。そして大量の発汗あり。

 

不思議なのもので、うそのように楽になった。

 

特に風邪の症状もみられない。疲労からきていたのだろうか。振り返ると、全くリラックスすることなく、日々を過ごしていた。何かをしなければ!という強迫観念近いものが頭を支配してた。

 

もっとリラックスして生きていこうと思った。

 

四十にして

四十にして惑わず。のほかに、四十にしてく域らず。という説もあるらしい。

 

確かに、停滞か上昇かのせめぎあいである。年齢で区切ることなく、能力を開発していこうと思う。

 

お金のこと、将来のこと、能力のこと、親のことなど考えること、また、折り合いをつけることが多く中年期は結構しんどいことが多い。