友人
本日は快晴。日中の温度は20℃を越え、過ごしやすなるだろう。こんな天気の日はもったいないので、桜を見に行こうと思う。もちろん、一人(笑)
この年齢になると、なかなか友人もできない。友人を維持するには、こまめな努力を必要とするのだが、面倒、時間がない、疲れる、食い違うなど、煩わしさが前面に出てしまい行動はしなくなってくる。
老後に豊かな人生を送るならば努力が必要なのだろう。
では、本当の友達、親友はいるのか?
古い友人を親友と思っていた。しかし、時間が経つにつれ疎遠となる。久しぶりに合うと気兼ねなく話せるのだが、人生で重ねた経験が壁となり、本心を話せなくなる。そして、知識量や思考の食い違いにより会話が成立しないことに愕然とする。
ソクラテスは言った。
「友人たちよ。私には友人がいないのだ」(だったはず)
ショーペンハウワーは言った。
「神がいるとしたならば、予に議論できる友達を与えよ」(だったはず)
このように、哲学者も悩んだようだ。私には友達はいない。いなくなった。しかし、落胆はしない。どこかにいるはずだ。
そもそも私が「高度な議論ができるほどの知識がない」ということが致命的なのだ!
このように、友人がいない⇒古い友人が親友というわけではない⇒高度な議論をできる人が欲しい
私の求める友人像は「高度な議論ができる人」のようだ。付け加えるなら、そう、魂が震えるくらいの感性をもった人だ。
その人はもういない。
友人を求めるのは旅に似ているのかもしれない。