気付き。

①仕事を探すことにより勉強に集中できない。しかし、それももう終わる。私が何を優先させるべきかをはっきりさせたからだ。

 

②ボクシングをおこなう。接近戦の練習を行う。アウトばかりではなくインファイトも磨いている。引退したから磨く必要はないが、次の世代に何かを伝えられるように努力している。その先にあるのは、ボクシングを通じてコミュニケーションを図り、伝え、説き、道しるべとなる。後輩たちが豊かな人生を送れるように。

 

③好都合なことに、誰も訪問がない。見られたくない気持ちもあり、見せなければいいのだが、見られる意識がないと独りよがりとなる。

 

④ふと思った。受験勉強についてほかのブログで投稿したら、どのくらい反応があるのか。と。そして、それは自分自身の勉強に反映されるのだろうか。

①本日は、朝より仕事探しを行う。散々悩んだ。結果、選択はシンプルになる。私が欲しいのは時間である。時間は私の今から進むために必要な能力を伸ばすことができる。そして、お金を取りそうになったが、お金はある程度貯蓄もあり、そこから少々看護師の仕事を行えば、さらに貯蓄もできる。

 よって、私に必要なものは時間である。

 

②①あと、図書館で勉強。どうも、仕事のことが気になり身が入らない。これはいけない。

 

③まえに進むしかない。

①本日も、仕事に対し決断できず。何を優先に取ればいいか判断ができない。ふと、とあるブログにパラレルキャリアについて記載があった。

 

副業とは違うことは、「報酬を目的としていない」ということ。

 

ハッ、と気づかされた。

 

そうか、私は無理やり看護のキャリアを強固なものにしようと専門看護師や診療看護師をどこかで目指していた。専門や診療看護師は確かに需要はあるだろう。

 

しかし、本当は金にこまるのではないか?という心配も少なからずあった。勿論、人の役に立つという気持ちもあるが、人々が自分の体を労り健康についてマネジメント出来ればいい。

 

そうだ、看護師ボクササイズやろう!とふと思った。

 

高齢者や体について気になる人を集め、体を動かす喜びを伝える。その中で、健康に対し、どう意識していくといいか指導する。

 

というのはどうだろう。私しかできない。

 

もちろん、会費を払ってもらうことで私の副収入となりえるのではないか?

 

これならば、パラレルキャリアとして成立する。少々、IOTなど考えていたが、知識もない。ここからウエアラブルで管理するとか、新しいことを思いつくかもしれない。

 

医療ではなく、健康に焦点を当てることも視野にいれよう。

 

問題は動くかどうか(笑)お金の管理や、広告、契約書、保険など考えなければならないことがあるなー。

①本日は、いやいや、本日も仕事探し。昨日は、仕事のことが気になり勉強に集中できなかった。数学は全く手を付けられない有様。その気になることを抽出すると。ⅰ)「派遣か正職員か」ⅱ)「通勤の便」ⅲ)「勉強時間の確保」の三点である。

 

②1⃣自分の能力の限界はどこなのかを考えている。その前に、より努力をしないと話にならない。限界を知る年齢ではあるのだが(エリクソンの理論では)挑戦してみると、思った以上に、知力や仕事に対しては、限界は先にあるのではないかと思ってしまう。

2⃣しかし、体力の面では、もう限界である。そこらへんの若人には負けない自信があるが、そこらへんであり、鍛え上げた若者には負けてしまう。では私が一念発起で鍛え上げようにも、その無理が利かないのが現実であろう。回復力が遅くなっているのはもちろんのこと、関節を痛めてしまっている。大事にしないと、今後の生活に影響を及ぼすだろう。そう、人生の正午なのだから。終わりを見据えないといけない。

 

知力や仕事のに対してとは言ったものの、ふと、2⃣体力面では人と比較しており、1⃣知力や仕事の面では、自分自身と比較しているではないか!

 

知力や仕事はの面では、まだ人と比較するところまでもいっていないということか?と意味不明の文面になってしまった。

 

では1⃣につけ加えると、知力や仕事に関しては

 

「知力においては、今回の受験を受けることにより、物理や数学においては大学基準の問題であるならば、理解することはできる。しかし、問題となるのは、時間である。生活をしながらであると時間的制約がある。さらには、仕事が入り込むことにより、疲労や仕事による雑念が沸き上がることによりパフォーマンスの低下があった

。この時間的制約と雑念を気にせず勉強に取り組めた2か月で感じたのは、大学入試程度の知力を蓄えることは難しくない。結果→知力の限界はまだまだ先にある。」

 

「仕事においては、医療や看護において様々な問題点に気づくことができ、かつアイデアも思い浮かぶ。例えば、病院での看護業務以外の雑務、仕事の複雑化、病状の管理の方法など。しかし、同僚に伝えても反応は薄い、そして変える気力もない。築き上げた閉鎖的なその病院の文化の壁は崩せなかった。しかし、その問題発見、アイデアは私の能力であり、よりコミュニケーションや発信力があれば変化は起せるハズ。結果→まだ仕事における能力は限界は先にある。」→そんなこと、誰でも考えているだろうが。

 

うん?結局自分比較ではないか。

 

これくらいにしておこう。

 

昨日のケン・ウィルバー著「空像としての世界」を斜め読みしてから、物理学は勿論、神経心理学、哲学が気になって仕方ない。

 

ふと、我に返ると、こんなことを考え続けいている同世代は少ないはずだ・・・。取り残された感じがするが、まあ、世の中こんなやつもいる事にしとこう。

 

エリクソンによると、出世や能力の限界を感じる年齢だそうだ。出世については限界よりも、むしろ興味がない。体力は流石に落ちたと思う。そうは言っても、一般人よりもかなり高い水準を維持はしているが、スパーでプロボクサーと殴り合うには無理である。そもそも殴り合う前に、試合もできないのにメリットがない!

 

なにはともあれ、こうして目立った故障もなく引退できたのだからいいか。年齢制限なかったら、無理をしていたと思う。

 

トレーナーも「第二の人生の門出」と背中を押してくれた。こんな素晴らしい言葉をかけてもらえるなんて、幸せである。

 

さて、ハローワークに書類を提出しに行こう。

 

第二の人生の始まり。かもしれない。

 

深淵な世界に迷いなく踏み込めるのか、それとも、実生活で追われてしまい、埋没してしまうのか。親のことも気になりだし色々考えてしまう昼下がり。

 

 

拡張させる。

①朝は英語の勉強を行う。昼からは、図書館で数学、物理学を勉強。

 

②図書館での学習の際、ケン・ウィルバー著の本を見つけ読んでみる。神経学者プリグラム、物理学者ボーム、宗教哲学クリシュナムルティーなど豪華絢爛。刺激を受けた。

 

③家に帰り、今まで感じていた閉塞感から抜け出す決意をする。限定せずに自身を拡張しようと思う。