特になし。

 ①本日は、九時間睡眠をとる。目覚めると頭が少々痛い。寝すぎか?高血圧?次第に収まった。暫く観察しよう。

 

②その後、昨日は疲れ果て眠ってしまったので、いつもやっている一日の振り返りとスケジュール管理を行う。時間の使い方に不明な時間多い。修正する。

 

③勉強を行う。英語と数学をする。物理まで行けずにボクシング。

 

④ボクシングを行う。少々のシャドーとミットを持つ。教えるのも様々な発見がある。しかし、もう少し自分の練習をしたい。息を上げたい。

 

⑤もう少し、もう少し勉強の時間を増やそう。

①仕事の件で、派遣会社へ電話する。派遣会社から派遣先へ日取りの段取りをするとのこ。

 

②昨日は倒れた人がいたので、救急要請する。資格があっても病院から離れると、思ったように動けない。

 

③ボクシングのことを考え過ぎて、勉強がおろそかになってしまう。余裕がありすぎるのも問題だ。

 

 

①本日は、朝は8時より1年間の棚卸として思考の整理を行う。看護師をやりながら勉強をし考える暇がなかっが、自分と向き合う時間ができたので心に引っかかり、絡まってしまったものを一つ一つ言葉にしてみる。

 

ここ数年、人生に対し投げやりであった。これが、ただの投げやりだけだったらいいのだが、人生そのものを投げ出したいという欲求(カッコよくいうとタナトス、医療でいう希死念慮)があり悩まされている。今はその欲求は大人しくなってきた。ひどい時には、これが結構、頭の中で反芻してうっとおしい。

 

今後10年は三項目を目標に行っていく。それは、人生を豊かにするため。とあるとこまでたどり着くためである。

a)社会的改善の追及

b)世界の追及

c)安定した生活基盤の追及

である。

 

絡まったものは、生と死、正義と悪、祈りと絶望、生活するための不安材料であった。

それらをまとめ反転させたものがa)b)c)である。今後も修正しより明確にしていく。

 

②ボクシングでミットを持つ。わかりやすく伝えるのは難しい。

 

③仕事を自分の中で決定はしていたが、心が揺らぐ。施設夜勤で勉強時間の確保をしようと思ったが、日勤で年収500万ほど稼げる施設にフラフラとしてしまう。明日へ持ち越し。見学だけでも行ってみるのもいいかもしれない。

 

メモ書き日記、思考

 ①学習について

本日は少々肌寒い。英語、数学、物理学の学習を朝より行う。高校生の時は全く勉強をしなかった。ちょっとでも気を抜くと全くついていけなくなった。しかし、今の時代は素晴らしい。ネットや参考書は大きな武器となり、無知な私でも独学で理解できるようになった。(受験はダメだったが。来年は合格すると思う)

 

 英語の学習のために購入した単語帳「ターゲット1900」だが、その進歩におどろいた。20年近く前の(そんなに立つのか・・・)ターゲットを引っ張り出し「どうせ変わらないだろう」と思ったが、どうも、引っかかる。頻出単語は変わっているのではないか?今の方がわかりやすいのではないか?そんなに心配するくらいなら購入し心配を解消した方が得策である。

 

 購入後、驚いた。

 

 今はネットからダウンロード、または、音声ガイダンスで発音を確認できるではないか!

 

 たしかに、医療でもレントゲン、CT画像も無料で見れるし、アプリを購入すれば骨格、筋肉、内臓を360°どの角度からも、その箇所を詳細に見ることもできる。

 

 参考書もここまで進んでいるとは・・・。

 

 では学校の存在意義はどうなるのだろうか?学習以外のものを学ぶためか?それならば学校でなくてもいいのではないか?

 

それはさておき。

 

20年前の単語帳に書き込んだ平仮名発音にどれだけ苦労したか。テクノロジーの進歩により無駄な努力であったとわかる。新しい世代はやろうと思えば、どんどん新しい知識を自ら増やすことができるのだろう。(格差問題もあるが)

 

②カントについて

夜はカフェでカント哲学を簡略化した書籍を読みカントのすばらしさ、驚愕の天才ぶりが分かった。ただ、あとがきで原文が出てきたが、意味が分からない。じっくり読むとしよう。

 

③仕事について

 

派遣で施設での夜勤か、正社(職)員での精神科か迷ってしまう。お金はトータルすると後者がいいだろう。勉強となるのは精神科であろう。思索を深めるのも。しかし、前者も後者もノイズ(人間関係、古めかしい職場伝統etc・・・)が大きいと疲れてしまうのでやはり環境か?

 

④自分自身のこと

 

カントは「自分がなにかわからない」と言っていたらしい。私も「自分がなにかわからない」である。カントの意図はわかないが意識とは何だろう。私という現象はなんだろう。そういえば、宮沢賢治春と修羅で同じようなことを書いていたっけ?

 

 

メモ書き

  今日はボクシングジムへミットを持ちに行く。ミットを持つのは肘、肩に負担がかかり、次の日腕が上がらなくなる。そして、楽しませるコンビネーションや気持ちよく打つためのミットの持ち方と考えることが多い。しかしながら、選手時代とは違い、気づかされることが多い。これを現役時代にしっておけば・・・。と思うがそれはもうかなわない。

 

話は変わるが、このブログであるが、誰もまだ来訪者がゼロである。

 

人に見せるには気が引けていた。しかし、思考をメタ的な立場でみるには、独りよがりで自制が効かなくなるノートに綴る日記より、公開することで自制が効くようになるブログがいいのではと思っている。匿名性ではあるが、それでも考えていることを発信するのは恥ずかしいことなのだが。

 

 今後の展開としては、看護や医療や福祉についての考え、物理学で気になること、哲学で学んだこと、仕事について、資産運用方法などをアウトプットし、思考をメタ的に見れるようにしようと思う。

 

そのほか、ぼんやりであるが発信する方法や繋がり、何か見えてきたなら万々歳です。

 

 

さておき、答えがみつからないよりも、答えがわかないよりも、問題がみつからない方がしんどいことに気づく。

今考えていること。

 本日も昨日と変わらず、職を探す予定である。看護師としてのキャリアを積みたいところであるが、やはり勉強したいという気持ちが強く、勉強したい時間が確保される職場を検討している。とはいいつつ、高収入がよく・・・となるとなかなかない。

 

 しかし、この年齢でキャリアを積まずに、家族も持たずに、恋人もいない、それでいいのだろうか・・・。そのような不安もあるが、その不安は他者との比較からくるもであり、私にとって、物理学、哲学を駆使し、この世界を追い求めることが大切なものだと思っているので、この道を選択しているのである。

 

さて、少し私のクエスチョンがうっすらと分かってきた。それは、「人間の認識を越えたものはあるのか。それに触れることができるのか。」である。人間の認識能力は五感であり、五感による外部からのデータを解釈し、人は現象として心に映し出すことができる。では、その五感以上のもはあるか。第六感はどうなのだろうか。(カント哲学の端っこの端っこの曖昧な知識であるが。おかげで勉強不足がわかりました。)

 

第六感はあるなしにしても、人間の想像の範囲で言葉やイメージで確立しているものである。では第七感は?となると、人間の想像を越えたものになる。

 

科学の発達により、現象に対し観測が可能になった。それでも世界はベールを表さない。古典物理で解決できるものと思っていたら、量子力学は人間の予想もしない世界が広がっていた。とある大学の説明会にいった時だが量子力学について、ある教授が「量子力学は誰にもわからない。」この言葉は何処かで知っていたが、改めて知識のある教授から聞くと、衝撃と興奮を覚えた。

 

分からないことに挑戦する。これは面白いことだ。死ぬまで分からないだろう。そして、死ぬときに、「世界なんか分かるわけないだろう!」と言い笑って死にたい。もう一つ。もし、周りに見守る人がいるならば、冗談を言い放ち、爆笑させて死にたい。(看護でいろいろな死に立ち合いましたが、そんなハッキリと言える人はいなかったですが。)

 

話はそれてしまったが、人間の認識を越えた世界、モノは存在するのか。世界は私たちに姿をさらけ出すのか。これが今の生きる原動力となっている。

 

 さておき、このように言葉にするということは大切ですね。今まで、もやもやしたものが形になる、そして方向性が分かってきました。

 

さて、現実に戻り、職探し。そして勉強。夜勤にしようかな・・・。

欲がなくなる、なくなっていく、なくなる瞬間。

 年齢を重ねると欲がなくなるとは誰が言ったかはしらない。男性の減少するテストステロンの影響かもしれない。あれだけ欲しかったもの、例えば、時計、車、金、家、力、名声などギラギラとした欲望が驚くほど少なくなった。

 

時計に至っては、チープカシオで十分満足している。では、オメガやロレックスはどうか。確かに高い。その前にデザインがすきではない。そうであるならば、高級腕時計はなぜ欲しがったかというと、そのネームバリューだったとなる。

 

ああ、この世界は(社会)は虚構でできている。

 

テレビでの有名人は人間の手によって作られ、お金は発明であり人間が付加価値を付けたものなのだ・・・。

 

もちろん、快適に生活するためにはお金は大切である。経済活動は人間の生活の質も上げてきた。科学も進歩した。その上に私は快適な生活を送っているのである。しかし、お金以外の大切なものがあると、なんとなくの認識だったのが、はっきりと輪郭をなして見えてきた。

 

そうなったとき、今までの価値観が壊れた。とある出来事から、はっきりと壊れた。そうだな、価値観が壊れる瞬間は面白い。ものすごい衝撃があり、本当に音たて崩れ去るような。そして、頭がクエスチョンで埋め尽くされる。呆然となる。

 

そして、クエスチョンが何かを問う日々を送るようになった。

 

人間の存在とは、生命とは、意識とは、なぜ生きる、わたしはどこにいくのか、自然とは、世界はどのように構成されているのか。

 

ただ、これらではないような感じがする。答えの前にクエスチョンが何か分からない。

 

今はそれを探している最中である。

 

さて、現実に戻ろう。仕事探しに勉強。